学生時代、友人たちと3人で、岡潔先生を奈良市の自宅に訪ねたことがあります。少し自惚れもあって、「今の時代、しっかりした考えを持った青年が来た。」と、きっと喜び歓迎してくれるであろうと期待感をもって訪問したのですが、ほめられるどころか数時間の滞在中、ずっと叱られ通しでした。
特に、私が「共産主義の間違いを、国民にわからせるためには、どうしたらいいですか。」と尋ねた時、「バカ―ッ。自分自身がわかっていないのに、国民にわからせようなどと思いあがったことを言うな!」と、大喝されました。
岡潔先生は、世界の数学史上に名を残す偉大な数学者で、昭和35年には文化勲章を受章しておられます。昭和40年ごろからは、日本の国の現状を憂い、「よき国へ」の思いから教育のことをはじめ、宗教、思想、歴史等々の様々な分野のことに関して発言されるようになり、執筆、講義、講演などの活動は昭和53年満75歳で亡くなられるまで続きました。
私は、「春宵十話」「昭和への遺書」「日本民族」などの著書を学生時代に読み、共感、感銘したことから岡先生訪問を思い立ちました。そして、その時持参した「神々の花園」という先生の著書に、サインをお願いしましたら、岡先生は、「日本民族は常住にして変易なし」と書かれました。時折、叱られ通しだったけれど、何か清々しい気持ちになった岡潔先生訪問のことを思い出し、この言葉が物語る深い意味を考えています。
(合志 栄一)