小は個人間の争いから大は国家間の戦争まで、争いには正義と正義のぶつかり合いという面があります。
昨年2月に勃発したウクライナ戦争も、ロシアの一方的な武力侵攻に始まり、そのことの非は明らかで許されざることですがロシアにはロシアなりの武力侵攻を正当化する正義の論理があったと思われます。
それは、ウクライナがNATO(北大西洋条約機構)の圏域に入ることは、ロシアへの重大な脅威になるので力を行使してでも阻止しなければならないという論理です。
このことに欧米側の理解があり、ロシアの脅威感を緩和する方向でウクライナを国際秩序の中で位置づける賢明な知恵が発揮されていれば、ウクライナ戦争は起こらずに済んだのではないかと思っています。
私たちが生きている世界における個々の正義は、あくまでも相対的なものであることを自覚してそれを絶対化せず、少しずつお互いの正義を譲り合い、仲よくしていくことを優先するようにすれば、ずいぶんと世の中は平和になるのではないでしょうか。正しくよりも仲よくです。
家庭も同様で、わが家では、妻に対して私の正しさを少し譲ることで家庭の平和を保っています。