お尋ねの第二は、知事の役割についてであります。
知事の役割は、言うまでもなく行政の長としての役割と政治家としての役割の二通りがあります。そこで問題となるのは、最終的に、どちらの役割に基づく判断を優先すべきかということであります。
マックス・ウェーバー著「職業としての政治」は、政治に関する古典的名著でありますが、その中でマックス・ウェーバーは、政治指導者の行為は官吏とはまったく別の、それこそ正反対の責任の原則の下に立っていることを指摘して、次のように述べています。
官吏にとっては、自分の上級官庁が、―自分の意見具申にもかかわらず―自分には間違っていると思われる命令に固執する場合、それを、命令者の責任において誠実かつ正確に―あたかもそれが彼自身の信念に合致しているかのように―執行できることが名誉である。これに反して、政治指導者、したがって国政指導者の名誉は、自分の行為の責任を自分が一人で負うところにあり、この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、また許されない、と。
確かに、官吏即ち行政に携わる者、行政官に求められることは、指示命令や規則等に基づき行政事務を執行することで、そうした行為の責任は、上級者に転嫁することができます。一方、政治家は、己の行為の責任を自らに帰す、他の何者にも転嫁しない、そういう責任の原則の下に身を置いてこそ政治家なのであります。
では、知事の本質は、行政官なのでしょうか、それとも政治家なのでしょうか。また、いずれの責任の原則に基づき行動すべきなのでしょうか。はっきりしていることは、県政に関することにおいて知事は最終責任者であり、責任の転嫁はできないということであります。そういう意味において、知事の本質は、県政の政治指導者、政治家であると考えます。このことは、今日、知事の地位は、官選ではなく民選であるということからも明らかです。知事は、県政を担当する政治家として行政の長を兼ねているというのが、知事の役割についての正確な理解であると思います。
そこでお尋ねです。知事は、政治家としての責任の原則の下、その役割を果たしていくべきであると考えますが、ご所見をお伺いいたします。