娘に女の子が生まれて一年八か月、孫娘も少し片言を話すようになり、
私のことを「じぃじ」と言います。
呼ばれると思わず顔が緩み、
この孫の笑顔を見るとき、
抱っこしているとき、
手をつないで歩いているとき、
何とも言えない幸福感が湧いてきます。
そして思います。
この孫たちが大人になった頃、世の中は、どうなっているであろうかと。
一つ、はっきりしていることは人の長寿化がさらに進むことです。
今、生まれている子供たちの半数以上は、107歳から110歳まで生きるとの統計上の見解もあります。
そういう時代に備えて、世の中の仕組みをどうしていくのか。
そのことが、これからの政治には問われます。
(合志栄一)
最近、健康のため心がけていることが三つあります。
その1は、少食。禁酒を解禁しましたので、食べ過ぎ、飲み過ぎ、カロリー過多にならないよう少食を心がけています。
その2、睡眠。少々疲労が蓄積しても、しっかり睡眠をとれば回復しますので、睡眠不足にならないようにしています。
その3、深呼吸。毎朝、足身呼吸法という深呼吸を5回やっています。
以上三つのうち、一番努力を要するのは少食でして、空腹を楽しむような心境になれないものかと案じています。
ささやかなことですが、まだまだ健康で、皆さまのためにお役に立つべく努めてまいります。
(合志 栄一)
昭和24年生まれの私は、今年数え年では70歳になり古希ということになります。古希は、「古来希なり」の意とのことですが、長寿国になった今日の日本では希ではなくなりました。
そうとは云え、無事に古希の年を迎えることが出来たことには、幾ばくかの感慨もあります。その一方、本当にそんな年になったのかなとの気もします。70歳古希のイメージからすると、現在の自分は、まだまだそんな年ではないと思うからです。
一説によれば、現代の年齢は、それに7掛け(10分の7)したくらいが、昔の人の年齢に相当するとのこと。そうだとすれば、私の年齢は実質49歳で、これから働き盛りの50代に向かうということになります。
少しは体をいたわりつつ、そういう思いで本年も頑張ります。
(合志 栄一)
昨年、娘が結婚して今年の春女の子が生まれた。私は、爺ちゃんになった訳である。
しかし、あまりピンと来ていない。妻から、「爺ちゃんの自覚を持ちなさい。」と言われると、「爺ちゃん、爺ちゃんと言うな。」と反発している。年は、既に六十代後半なのに、気持ちだけは若くて年よりじみたくないとの思いがあるようだ。
それが最近、妻がいる。娘がいる。娘の主人がいる。そして孫がいる。そんな当たり前の日常に、しみじみとした幸せを感じるようになってきた。そのうち、「爺ちゃん。」と呼ばれる幸せを感ずるようになるかも。孫娘と共に、爺ちゃんも成長中である。
(合志 栄一)
天地自然は、万物を生じ万物を育てて止むことがありません。
そのような天地自然の大きな営みの中に、私たち人間の世界も包摂されています。
従って、私たち人間世界も、その根底には天地自然の生かす力があるのではないでしょうか。
その力に則るとき、人は栄える。何時頃からか、そう思うようになりました。
では、その天地自然の生かす力に則るには、どうしたらいいのか。私は、三つの人生原則を心がけています。
その一は、身を、正しく持すること。
その二は、人生の方向が、天意に沿うこと。
その三は、為すべきを、為すこと。以上であります。
身を、正しく持するとは、形式的な正しさというより、人、もの、ことを生かす生き方をすることです。
天意に沿うというのは、世のため人のためになる建設的な方向であることと解しております。
為すべきを、為すは、やるべきことをキチンとやり、果たすべき務めを、しっかり果たすことであります。
私たちの人生も、春夏秋冬あり、晴れの日もあれば雨の日もある、時には嵐吹く日もありますが、この人生三原則を守っていけば、人生何が起こっても必ずよくなる。
最近、そう思っています。
人生は、無限向上の旅路。楽しみながら、今年もがんばりましょう。
(合志 栄一)
学生時代、友人たちと3人で、岡潔先生を奈良市の自宅に訪ねたことがあります。少し自惚れもあって、「今の時代、しっかりした考えを持った青年が来た。」と、きっと喜び歓迎してくれるであろうと期待感をもって訪問したのですが、ほめられるどころか数時間の滞在中、ずっと叱られ通しでした。
特に、私が「共産主義の間違いを、国民にわからせるためには、どうしたらいいですか。」と尋ねた時、「バカ―ッ。自分自身がわかっていないのに、国民にわからせようなどと思いあがったことを言うな!」と、大喝されました。
岡潔先生は、世界の数学史上に名を残す偉大な数学者で、昭和35年には文化勲章を受章しておられます。昭和40年ごろからは、日本の国の現状を憂い、「よき国へ」の思いから教育のことをはじめ、宗教、思想、歴史等々の様々な分野のことに関して発言されるようになり、執筆、講義、講演などの活動は昭和53年満75歳で亡くなられるまで続きました。
私は、「春宵十話」「昭和への遺書」「日本民族」などの著書を学生時代に読み、共感、感銘したことから岡先生訪問を思い立ちました。そして、その時持参した「神々の花園」という先生の著書に、サインをお願いしましたら、岡先生は、「日本民族は常住にして変易なし」と書かれました。時折、叱られ通しだったけれど、何か清々しい気持ちになった岡潔先生訪問のことを思い出し、この言葉が物語る深い意味を考えています。
(合志 栄一)
『地球村の希望』
「日本は、21世紀の地球村の希望です。」
米国大統領の日本語担当公式通訳官としてカーター政権の後半2年、レーガン政権の2期8年、計10年間にわたり日米首脳会談や閣僚協議、先進国サミット等の国際政治の現場を見てきたコーネリアス飯田師は、そう語ってやみません。
日本の神話や歴史のなかに見られる豊かな精神文化に、飯田師は、21世紀の世界の希望を見出しているようです。
子どもが生まれたら神社にお宮参りし、成長して結婚式はキリスト教会でやり、亡くなった時の葬式は仏式というのは、我が国ではよくあることです。私たちは、特段そのことに矛盾を感じていませんが、世界の中で宗教が人々の暮らしや社会の在り方に強く影響している地域や国々からすると、おかしなことかもしれません。
しかし、米ソの冷戦終結後、宗教や民族の対立が世界の各地域における紛争の火種になっていることを考えると、生活の中において多様な宗教を受容している日本人の精神的な大らかさは、21世紀を平和の世紀にする上で大事なことかもしれません。
(合志 栄一)
『風鈴』
夏に涼風を呼ぶ風鈴。次のような詩があります。
渾身口に似て虚空に掛かる
東西南北の風を問わず
唯一等に他のために般若を談ず
滴丁東了 滴丁東
南宋時代の中国の偉大な禅師で、曹洞宗の開祖道元禅師の師である如浄禅師の作であります。
ある道元禅の大家は、不安の絶えない現代人がその不安の根源を断ち切るための法がこの詩に示されていると説いています。
「渾身□に似て」は、風鈴の全身が、□のようであるとの意。
「虚空に掛かる」は、虚空と云う何も無いところに掛かることは出来ないことから、何物にも依存せず、それ自ら在ることを意味しているようです。
「東西南北の風を問わず」は、何物にも依存していないので、東西南北どの方向から吹いてくる風かを、風鈴は問わないということです。
「唯一等に他のために般若を談ず」は、そういう風鈴は、どの方向からの風を受けようとも、等しく発する響きは悉く他のための真理の法となるとの意。
「滴丁東了 滴丁東」は、チリリン チリンと鳴り響く風鈴の音を漢字表現したものです。
不安の根源を断ち切る法は、「虚空に掛かる」の一句に端的に示されているように思われますが如何。この夏、風鈴の音に耳を澄ませながら、そういうことに思いを馳せてみるのもいいかもしれませんね。
(合志 栄一)
『咲う(わらう)』
天の岩戸開きの神話では、天宇受売命(あめのうずめのみこと)の踊りを見て神々が咲っだのがキッカケで、岩戸に隠れておられた天照大御神が出御され、それまで暗くなっていた高天原が明るくなったとあります。
この神話は、古事記の神代の巻に録されていますが、興味深いのは、「わらう」が、「咲う」
と書かれていることです。
古事記の編纂者が、「笑う」を「咲う」と表記したのは、古代日本人にとって、「笑い」とは生命咲くことであったからではないでしょうか。
分子生物学者で遺伝子研究の世界的権威である村上和雄先生(筑波大学名誉教授)は、「笑い」には隠れている良い遺伝子の働きをオンにして、生命の働きを活発化し、健康に資する効用が
あると説いておられます。
このような今日の最先端科学が明らかにしている生命観は、天の岩戸開きの神話が物語って
いることとピッタリ符合しています。
現象的にどんな状況であっても、笑えば生命咲き明るくなる。
このことを信じて、今年も一年明るく笑って頑張りましょう。
(合志 栄一)
『思うことから始まる』
松下電器(現パナソニック)の創業者・松下幸之助氏が、関西経済人会の講演にて「ダム式経営の効用」を熱心に語りました。ダムが水を溜めるように、人材や資金を溜めておき余裕を持って経営することの効用を説いた訳です。
講演が終り、参加者が質問しました。どうしたらダム式経営が出来るのでしょうか。」と。松下氏は、暫くうつむいて考え、答えました。「それは、ダム式経営をやろうと思うことです。」と。この回答に、会場からは失笑が漏れ、質問した人は、「まともに答えていない。」と思って憤然としたそうです。
ところが、この松下氏の言葉に、全身が震えるような感動を覚えた青年企業家がいました。京都セラミックを創業したばかりの、若き日の稲盛和夫氏、その人です。「そうか、思うことから始まるのか。」、深い感動の中で稲盛氏は、そのことを感得したのでした。
以後、彼は仲間8人で設立した京都セラミックを、上場大企業(現在社員7万人)にまで育て上げ、また、第二電電(現在のKDDI)を設立し経営を軌道に乗せ、最近では、日本航空(JAL)の再建を見事に成功させました。
この言葉、「思うことから始まる。」の受け止め方は様々でしょうが、夢を実現していく人生の真理が秘められていることは確かなようです。
(合志 栄一)