『歓迎 ケネディ大使』
戦後のアメリカ大統領の中で最も人気があるケネディ大統領の長女キャロライン・ケネディさんが、昨年の秋に駐日アメリカ大使に就任しました。このことを心から歓迎し喜んでいます。
外交経験がないことを心配する向きもありますが、アメリカのロイヤルファミリーの筆頭であるケネディ家、そのケネディ家を代表する歴史的人物ケネディ大統領の愛娘であるキャロライン・ケネディさんの駐日大使就任は、間違いなく日本とアメリカの友好の絆を深め、その意義は大きいと思います。
「国が諸君のために何をなすことができるかを問い給うな。諸君が国のために何をなすことができるかを問い給え。」これはケネディ大統領就任演説の有名な一節ですが、彼は続いて次のように呼びかけています。
「わが友である世界の市民諸君。アメリカが諸君のために何をしてくれるかではなく、我々が共に人類の自由のために何ができるかを問い給え。」と。
ケネディ大使の就任を機に、我ら日本国民がこの呼びかけに応え、人類の自由と世界の平和の基礎としての日米協調、日米同盟関係が、よりしっかりしたものになっていくことを願っています。
(合志栄一)
『抜かずして勝つ剣』
友人のH氏は、剣道を生涯の趣味とする教士七段です。
ここ数年、剣道界の最高段位である八段への昇段を目指して精進、挑戦を続けていますが、なかなかうまくいきません。
剣道では、七段になるにも相当の年季と修練を要しますが、その練達の七段の剣士であっても八段への昇段審査の合格率は1~2%程度で、合格者の殆どの方が5~10回受験されています。
正しく難関中の難関であります。
H氏が、最近御縁が出来たある識者に、そのことを話したら「抜かずして勝つ剣を目指しなさい。」とアドバイスされたそうです。
「抜かずして勝つ剣」は、実際に刃を交わすことなく勝を制しますので、血を流しません。
そういう意味で「平和の剣」と言ってもいいでしょう。
日本の建国物語は、大和の地を平定する際、苦戦を強いられた神武天皇が、「刃に血ぬらずして勝つ」ことを叡慮されたと伝えています。
明治維新は、王政復古の大号令に始まりますが、そこでは諸事「神武創業の始に原(もと)づく」旨、宣言されています。
その後の、我が国の歩みは近代国家として目覚ましい躍進を遂げた半面、苦戦、苦闘の連続でありました。
そして今日、日本は、神武創業の故事に倣い「刃に血ぬらずして勝つ」ことに思いを致し、「抜かずして勝つ剣」の徳を備えた国となり、世界平和の大業を成就すべき時を迎えているのではないでしょうか。
H氏から聞いた「抜かずして勝つ剣」の話から、気宇壮大な希望の二十一世紀地球村ストーリーが浮かんできました。
もっとも、先ずは私たち自身が身近な人生百般において「抜かずして勝つ剣」の域に達したいものですね。
(合志栄一)
『人生の応援歌』
行きつけの居酒屋で、時々一緒になったお客さんとカラオケを歌い盛り上がることがあります。
そういう時の、持ち歌の一つが坂本冬美の「風に立つ」です。
この歌を知ったのは、平成14年の山口市長選挙に出馬した頃で、湯田の街のとあるスナックが、私を支持するグル―プ仲間の溜まり場のようになり、「風に立つ」を、皆で歌っては大いに盛り上がり勝利への闘志を燃やしたものでした。
選挙結果は見事当選、以来この歌は私の人生の応援歌となりました。
1番から3番まで、どの歌詞も私の気持ちにピッタリなのですが、特に2番の「泥にまみれて涙流しても、心に錦の華を持て」の一節は、グッと来ます。
1番、2番、3番とも締め括りは同じで「そうさ、人生やるっきゃないさ。」の繰り返し、ここを想いを込めて歌い終わると少し高揚した気分になります。 確かに色々あろうとも、やるっきゃない人生。
これからは、世のため人のため泥にまみれて、皆さまと共に喜びの涙を流す、そんな人生を歩んでいきたいと願っています。
時々この応援歌で自らを励ましながら。
(合志栄一)
『政治責任』
我が家から歩いて10分ぐらいのところに人気の居酒屋がある。
店主Mさんをみんなが船長と呼ぶ。彼が多年にわたり主に舞鶴と小樽間の北海道航路大型フェリーの船長をやっていたからである。
38歳で船長職を務めるようになった時、Mさんは若くして船長になった喜びよりも、思い悩む日々がしばらく続いた。
「船長は、船の運航の最終責任者である。船の事故が起こったとき責任取るのも船長だ。しかし、実際は責任とれないのではないか。大勢の客が犠牲になるような事故が起こった時、たとえ死んでお詫びしてもすまない、責任取れない。どうしたらいいのか。」、Mさんの悩みはそういうことであった。
そして、彼はある思いに達する。「そうだ、乗組員から船長は『金玉が小さい。臆病者だ。』等々、なんといわれようと事故を起こさないために自分がやるべきと思うことは全てやる。
石橋を渡るのに一回叩いた上に、もう一回叩いて安全を確認する、そういう姿勢でやっていくことにしよう。」と。
以来60歳までの22年間、Mさんは一度も事故を起こすことなく船長としての任務を立派に全うした。
ビールを飲みながらM船長から聞いたこの話は、責任の自覚とはどういうことなのかを端的に物語っている。
大飯原発の再稼働が政治の責任で決断された時、M船長の話が思い出された。しっかりした責任の自覚があって信頼がある。
特に、政治にそのことが求められている。そんな思いを深める昨今である。
(合志栄一)
『四つ葉のクローバー』
「おとうさん、これ。」
と言って、妻が渡してくれたのを見たら、若かりし日の私の顔写真の横に四つ葉のクロバーが貼ってあった。
結婚前のことらしいが、私が妻に四つ葉のクローバーをあげたのを、そういう形にして何かのファイルに挟んで大事にとっていたようだ。それを、いつの間にか忘れていたのが去年の秋、片づけものしている時に、何十年振りかに発見したのだった。
私は、子どもの頃から、四つ葉のクロ―バーを探すのが好きだった。
それが現在、私の後援会や女性の会のシンボルマークになっている。
始まりは、平成十年に参議院選挙に出た時、運動の盛り上げのために作った「うちわ」であった。特段打ち合わせをしたわけでもないのに、出来上がった「うちわ」を見たら、真ん中に四つ葉のクローバーがデザインされていた。
不思議な感もあるが、「幸せを招く」と喜ばれる四つ葉のクローバーが、そういう自然の流れの中で、我が会のシンボルマークとして定着した。
今年も一年、四つ葉のクローバーにふさわしい働きをすることを、年頭の誓いとしたい。
(合志栄一)
『毎日、少しずつ』
イエローハットの創業者、日本を美しくする会の相談役、鍵山秀三郎先生の講演を、久方ぶりに聞いて心に沁みました。
日常生活に即してのお話が、なぜか心に響きます。
そして、何か壮大なヴィジョンを話して、聞く人を魅了したいという誘惑に駆られがちな自分が恥ずかしくなりました。
特に、「成程!」と思ったのは、整理整頓に関しての質問に応えてのお話。「その内、まとめて一気に誰かが」ではなく、「毎日少しずつ、出来るだけ、私が」の心構えが大事とのこと。
妻に言い聞かせるのではなく、先ず自分から実行しようと心に期しました。
(合志栄一)
『父の笑顔』
父を思うと、父の笑顔が浮かんでくる。
山口の我が家に来て3年、昨秋、父はにわかに旅立って逝った。
「同じ日本ではないか。」と言って、本籍、墓地を山口にすることを認めてくれた父。
陸士卒の職業軍人であったが、平和の大切さを誰よりも感じていた父。
母が言った年の暮、父は山口に来た。
以来、父妻娘私の4人の生活が始まった。
最初は、父のお世話をしているつもりであったが、父は、私たちの心の中の尊いものを引き出してくれた。
父が熊本から来てくれたおかげで、新しい家が建った。
父が山口に来て、4人兄弟の家それぞれが整っていった。
母が逝って3年7ケ月、父は子どもたちのために、やるべきことをやり尽くして逝った。
90年の人生すべてを包み込んだ笑顔を残して。
(合志栄一)
『心とコンピューター』
山口大学の学長を務められた広中平祐先生は、山口県の由宇町の生まれで数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞された日本を代表する数学者であります。
その広中先生が、山大の学長を辞められた後も、自ら学長をしておられた市民大学の講座で講演されたのを聴講したことがあります。その講演で、先生は数学の定義について語られ、「数学とは、無限なるものの有限化である。」と話されました。そして、「有限化とは、コンピューター処理できるようにすることである。」と補足されました。
私は、講演が終わった後、広中先生に尋ねました。「存在するものすべてを100とした場合、コンピューター処理できるものの割合はどれほどですか。」と。この問いに対して広中先生は、「50です。心の世界はコンピューター化できません。」と答えられました。
この先生の答えは、世の中の在り方を考える上で大事な視点を提供していると思います。「コンピューター処理できるようにする。」ということは、数値化するということであります。今日の時代、あらゆる面で、その数値化が進行し、そのことに基づいて物事を評価し、対応していくということが一般化しています。しかし、その時、私たちは、「数値化できるのは、存在するもののすべてではない、半分に過ぎない。」ということを見失ってはならないのではないでしょうか。
(合志栄一)