『神の御加護』3・11福島第一原発事故を振り返って
福島第一原発事故が発災した時、日本は国家存亡の淵に立たされていた。
原子炉格納容器爆発が起きたら、首都圏を含む三千万人から五千万人避難という最悪事 態が現実になる可能性があったからだ。
かかる事態を回避するためには原子炉に水を注水して冷やし続けなければならない。
また、原子炉内の圧力が設計限度以上にならないようバルブを開けて減圧しなければな らない。
こうした作業は、通常であれば管理室でスイッチを押せばできる。
しかし、福島第一原発は地震と津波で全電源喪失状態となり、人が原子炉に近接して手 動でその作業をやらなければならない事態となった。
その作業は、まさに死のリスクに直面した決死の覚悟の作業であったが、それに敢然と 立ち向かっていった男達がいた。
その感動のドラマは、門田隆将著「死の淵を見た男」に詳しい。
私は、この書を読みながら幾度も涙が溢れてくるのを禁じ得なかった。
彼らの決死の作業で最悪事態は回避の方向に向かっていたのだが、水素爆発の発生で一 変する。
特に、二号機は注水や減圧が不可能となり、原子炉格納容器の破裂は避けられない事態 となった。
その時までに発生した水素爆発では、原子炉の建屋は破壊されたが、原子炉自体は大丈 夫で、放射性物質の拡散は抑制されていた。
しかし、原子炉格納容器爆発となると原子炉内の放射性物質がもろに外部に放出され拡散することになり、その被害の甚大さは計り知れない。
そういう最悪事態を避けるために、現地に踏みとどまった東電社員や支援に来た自衛隊員、消防隊員、協力企業の社員たちは文字通り命懸けで事故対応に当たって来た。
しかし、「もう、どうしようもない。」そういう事態になったのである。
その時のことを、原発事故対応を現地で指揮した吉田昌郎福島第一原発所長は、次のように回想している。
「もう完全にダメだと思った。あとはもう、それこそ神様、仏様に任せるしかねえと いうのがあってね。」と。
ところが、格納容器爆発という最悪事態はギリギリのところで幸運な偶然に恵まれて回避される。
それは原子炉の下部にあるサブレッション・チェンバーという圧力抑制室のどこかに穴が生じ原子炉内圧力が低下したことによるものと推定されている。
このことを、首相として原発事故対応に当たった菅直人前総理は。
「まさに、神の御加護があったのだ。」と、福島原発事故を振り返った彼の著書に記し ている。
人知、人力の及ばない不可知なところの働きが幸運な方に振れ、日本は国家沈没の危機を免れることが出来た。
このことを、私も神仏の御加護と受け止め、神は日本がどういう国になることを望んで おられるのかを問いつつ、今年も我が務めを果たしていきたいと思っている。
神の御加護と決死の覚悟で原発事故に立ち向かっていった男達のおかげて、穏やかな新 年を迎えることが出来たことに感謝しつつ。
(合志 栄一)
『3・11の教訓と上関原発』
「幸運」に恵まれた福島原発事故
田坂広志著「官邸から見た原発事故の真実」を読むと、3・11の大震災、大津波そして福島原発事故は、我が国にとって国難というべき未曾有の大災害であったが、それでも日本はついていたとの感をもつ。
田坂氏は、東日本大震災の直後、平成23年の3月から9月まで、内閣官房参与として官邸に入り、原子力事故への緊急対策に取り組んだ。
3月29日、官邸に入った彼は、原発事故のシュミレーション結果として、「首都圏三千万人避難」という最悪事態もあり得ることを知る。その日の夜、田坂氏は官邸の駐車場で夜空を見上げながら、「これは映画ではない。」と自らに言い聞かせたそうだ。そして、そうした最悪事態にならなかったことを、彼は「幸運に恵まれた。」と述懐している。
「福島原発事故は、不幸な出来事であった。しかし、幸運なことに、文字通り幸運なことにさらなる水素爆発も起こらず、大きな余震や津波も起こらず、原子炉建屋や燃料プールのさらなる大規模崩壊も起こらなかったため、最悪のシナリオに進まずに済んだ。」、これが原発事故対応の中枢にいた田坂氏の偽らざる実感である。
天の警告
私は、東日本大震災は我が国の在り方に転換を求める天の警鐘であり、警告であったと見ている。そのひとつが、原発拡大路線からの転換である。3・11の大震災が起こる前までの我が国のエネルギー政策は原発拡大路線で、2030年までに、現在五十四基ある原発を、さらに十四基増設・新設し、我が国の総発電量における原子力発電の割合を、三割から五割に拡大するというものであった。このエネルギー計画が閣議決定されたのは、平成22年の6月のこと、それから一年も経ずして発生した福島原発事故は、このエネルギー計画を白紙に戻し根本的な見直しを迫ることになった。
プレート境界が集中し、世界の中で最も大地震が発生しやすい地理的構造の日本列島に、いったん事故が発生した場合、最悪国土全体が放射能汚染で住めなくなる可能性がある原発を、快適な生活と経済的利益のために次々と増設していくことの無謀さに対する天の警告を、我々は福島原発事故から読み取るべきなのではないか。
教訓1 小さく分散して自立的に
我が国の高度成長期1960年代の後半、大ヒットしたCMソングがある。髭の作曲家山本直純氏が、富士山を背景に気球に乗って身を乗り出してタクトを振り、「大きいことはいいことだ。」と歌う森永チョコのCMソングだ。四十数年も前のことだが強烈な印象が残っていて、今でもそのCM画面を思いだすことができる。
このCMが大ヒットした背景には、「大きいことはいいことだ。」のフレーズが、当時
の時代風潮とピッタリ一致していたことがある。確かに我が国は戦後、政治・経済のみならずあらゆる分野において「大きいことはいいことだ。」路線を邁進し、出来るだけ「大きく集中して効率的に。」ということでやって来た。その結果が、ある意味東京一極集中と地方の疲弊であるとも言える。そして、その構造を支えるエネルギー供給の核に原子力発電が位置づけられていた。
しかし、それは本来の日本の在り方ではない。自立した地方、ローカルが多様に栄える国の在り方こそ、日本本来の姿であって、それに立ち返ることをこのたびの震災事故は促している。
これから我が国は、「小さく分散して自立的に」という方向に様々な在り方を転換していくことが求められている。今日、国民の大方のコンセンサスになっている脱原発依存社会への転換とは基本的にそういうことで、特にエネルギーと食料面で地域の自給度を高め、激しく変動するグローバル経済に振り回されない自立した健康な地域で構成される国家日本にしていかなければならない。このことが、東日本大震災から学ぶ最大の教訓ではないだろうか。
脱原発依存社会と上関原発
現民主党政権は、大飯原発の再稼働を決断したが脱原発依存の方針は変えておらず2030年を目途に、総発電量における原発依存の割合を、現状の30%から15%へ半減する方向で、エネルギー計画の見直し案をまとめようとしている。エネルギー計画の見直しは、八月中に結論が出されるようであるが、最有力の原発依存15%案になった場合、既設の原発稼働は、原子炉寿命四十年間の範囲内で認めるも、原発の新設・増設はしない計画となる。
見直し以前の計画で、新設・増設が予定された14基の原発建設の進捗度合いには大きな差があり、島根原発三号機のように建設は完成し試運転段階のものもあれば、上関原発のようにまだ準備工事段階でそれも緒についていないものもある。
島根原発三号機の稼働は、脱原発依存に向けての現実的対応としてあり得ても、上関原発の建設はあり得ないと見ている。もし仮に、上関原発が国のエネルギー計画で新規建設に位置づけられたとしたら、国のエネルギー政策が福島原発事故以前仁戻ったことを意味し、断じてあってはならない。脱原発依存社会を目指す方向に上関原発の建設はない。今夏の山口県知事選挙において、だれが新知事に選ばれても、この方向は変わらないし、変えてはならないと思っている。
(合志 栄一)
『高レベル放射性廃棄物は、百万年監視を要する』
2009年2月、アメリカ政府は「高レベル放射性廃棄物は、百万年の監視を要する。」との見解を発表しました。
高レベル放射性廃棄物とは、原子力発電所から排出されるもので、主に使用済み核燃料のことをいいます。
この使用済み核燃料は、我が国では青森県の六ヶ所村再処理工場に搬入されることになっていまして、そこでは先ず溶かして液状にする処理がされます。
その後、それをガラス状に固めてキャニスターという容器に納めて三十年から五十年間冷却保存した後、地層処分ということで300メートル以上深い地中に埋める計画になっています。
問題なのは、このキャニスター1本の重量は500キログラムですが、猛烈に高い放射能を有していて、長期間それが残るということです。
放射能の大きな単位に、キュリーというのがありまして、1キュリーの放射能があれば、1平方キロメートルが立ち入り禁止になるほどですが、キャニスター1本だけで、当初一ヶ月は392万キュリーの放射能があります。
日本の面積は約38万平方キロメートルでありますので、その十倍強の面積が立ち入り禁止になるほどの放射能です。
それが一万年たっても600キュリーの放射線が残っており、百万年立っても同量のウラン鉱石の500倍の放射能が残っています。
アメリカ政府が、百万年の監視を要するとの見解を発表した背景には、こうした事実があります。
キャニスターに納められた放射性廃棄物は、現在六ヵ所村に1200本以上貯蔵されていますが、現行の計画通り我が国の原子力発電が続けられれば、平成33年までに、その数量はキャニスター4万本に達すると推計されています。
これらを地層処分するということは、後世に借金を残す以上に深刻な環境汚染の負の遺産を残すことになり、やってはならないことであります。
私か、六月県議会で、原発への依存を減らすという意味での脱原発に国のエネルギー政策は転換すべきであり、山口県は上関原発中止の立場を明確にすべきと表明したのも、原発には安全性の確保問題と併せて、以上申し上げました放射性廃棄物処理の問題があるからです。
(合志 栄一)