「平成29年就業構造基本調査」によれば、30歳から34歳の間の男性で結婚している割合は、正規雇用の場合は59%ですが、非正規雇用の場合は22%となっていまして、正規と非正規を比べて結婚に関してもその格差の大きいことに愕然とします。
我が国では、非正規雇用の若年労働者の多くは、結婚・出産のライフプランが描けない経済的状況の中におかれているわけで、この状況を改めることなくして「少子化・人口減少」の流れを食い止めることはできません。
非正規雇用の若年労働者の増加は、1990年代後半以降顕著になりました。
その背景には1985年に制定された労働者派遣法が、1999年の改正で原則自由化され、派遣の対象業務の制限がなくなったことがあります。
このことにより、企業の多くは、非正規雇用を増やすことで人件費を抑え、企業としての競争力を強化しようとする方向に向かいました。
しかし、そのことが、日本の企業の国際競争力を増すことにつながり我が国を豊かにしたかというと、そうとは言い切れないようです。
むしろ、不安定雇用の若年労働者が増えたことによるマイナスの方が大きいのではないでしょうか。
いずれにせよ、20代・30代の若者の所得の向上と収入の安定を図り、彼らが結婚・出産のライフプランを描けるような国にしていかなければなりません。
そのことに向けて、労働政策はどうあるべきか問われています。
このことにも関心を向け、地方の現場にいる県議だからこそできる貢献をしていこうと期しています。
先般6月15日、岸田政権の内閣官房参与として社会保障・人口問題を担当しておられる山崎史郎氏を訪ねました。山崎参与の著書「人口戦略法案」を読んで、この書に少子化対策の論点や課題解決の方向性が網羅されていると感じ訪ねた次第です。貴重な時間を割いていただき、1時間ほどの訪問でしたが、主に、6月13日に閣議決定された「こども未来戦略方針」についてお伺いいたしました。この方針を、「岸田総理は、次元の異なる少子化対策と言っておられるけれど、そうでしょうか。」と尋ねたら、「そういう言い方をされたことにより注目されるようになったのはよかった。少子化対策を、優先度の高い政策として位置づけられた意義は大きい。」と語っておられました。
この度の訪問により、6月定例会で「一億人国家シナリオと県政について」一般質問の質問を作成するうえでも、今後の県政を考える上でも大変参考となり、実りある有意義なものとなりました。
―地元長年の熱意実るー
阿東徳佐の人たちにとっては、長年の念願でありました徳佐八幡宮のしだれ桜が国名勝として復活しました。徳佐八幡宮参道両側の桜は、文政8年(1825年)に初めて植栽され、県内きっての名桜として知られるようになりました。昭和9年には「名勝徳佐桜」として文部省から指定をうけましたが、戦時中は手入れも行われず傷みが大きく荒廃した様子となり、戦後の昭和31年に、従来の価値が失われたとして指定が解除されました。それが今年の3月、再び国の名勝「徳佐(サクラ)」として指定されたことは、誠に喜ばしいことであります。
そこに至るまでには、往年の「名勝徳佐桜」復活を目指しての「しだれ桜保存会」等の地元有志による長年にわたる補植、接ぎ木、草刈等の地道な取り組みがありました。そして、春には多くの人々が訪ねる桜名所として景観が整ってきたことと併せて、文化庁の審査官の意見で「全国的にみたとき、しだれ桜の並木は大変珍しく貴重である。」と評価されたことが名勝復活につながりました。
県や市の文化財保護関係者の間では、一時は一気に国の名勝指定が難しければ、先ずは「国登録文化財」へということも検討されましたが、調査や整備をきちんと行うことで国の名勝指定も可能との判断に至り、地元念願の国の名勝指定を目指す方向で取組が進められ、実現した次第です。
これで、山口市における国の名勝指定は、長門峡、常栄寺庭園、常徳寺庭園に次いで4件目で、そのうち3件が阿東地区に在ることになりました。このことを、阿東地区の魅力を高め、地域の活性化に向けてどう生かしていくのか期待が高まります。
伊藤山口市長は、山口市議会定例会において「徳佐(サクラ)」名勝指定を報告し、「国・県と連携しながら、郷土のかけがえのない文化財を未来に引き継ぎ、市民が誇りに思うまちづくりを進めていく。」旨、表明しました。「徳佐(サクラ)」国名勝復活を祝し、みんなで応援していきましょう。
(合志記)
3月26日の「徳佐さくら」国指定名勝記念式典では「はやしだ」と「あとう夢語太鼓」が披露されました。
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「はやしだ」
阿東地域に伝わる豊作祈願を目的とした無形民俗文化財。
徳佐小学校の皆さんが伝承されておられます。 |
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「あとう夢語太鼓」
地域活性化を目的に近年結成されたグループです。 |
《無利子・無担保融資》
コロナウィルスの影響で大変な思いをしておられるお店、事業所、料飲・旅館組合等を訪ね、現場の切実な声を聴きました。また、そうした関係先に融資等を行って事業経営を支援している金融機関も訪ねて考えを伺いました。
そして、地方の現場の声ということで、無利子・無担保融資は、政府系金融機関だけではなく、民間の金融機関でも同様の要件で行うことができるよう繋がりがある衆参の国会議員に要望しました。
既に、そういう流れになっていたのだろうと思いますが、その後、地方銀行や信用金庫などの民間金融機関でも、無利子・無担保融資ができるようになりました。
給付ではなく融資ですので、いずれ返さなくてはならないことを気にされる向きもありますが、非常事態を乗り切っていく上において優れて有利なこの融資制度が大いに活用され、事業継続が図られていくことを願っています。
《医療従事者への感謝》
先般、新型コロナウィルスとの戦いの最前線である医療現場の実情を知るため、その感染症対策にかかわっている或る基幹病院を訪ねました。
そして医療担当の関係者のお話を伺いました時、看護の仕事を担当しておられる方が、「辛い思いで心が折れそうになることもあります。それでも、私たちがやらねばと自らを励まして頑張っています。」と語られるのを聞いて胸がつまりました。
感染リスクと隣り合わせの環境に身を置きながら、強い使命感をもって県民の生命を守るために奮闘しておられる医療従事者の方々が、頑張りぬいていくためには、県民の感謝と理解ある温かい眼差しが必要ではないか。
そのことに思いが至り、臨時県議会の質疑で、医療従事者への感謝支援の気運醸成を訴えました。
村岡知事は、この訴えに直ちに応えまして、医療従事者への感謝の気持ちを表すブルーライトアップを、県政資料館、下関海峡タワー、シンフォニア岩国の3県施設で行うことにしました。
また、知事自らが、県のホームページの新型コロナ関連情報サイトに「医療従事者への誹謗中傷・差別はやめて!」との動画をアップし、その中で医療従事者への感謝を、強く県民に呼び掛けています。
是非、皆さまも見てください。
《助け合い補い合って》
コロナ対応の自粛要請で大きな打撃を受けているのが料飲関係のお店です。
平均して通常の2割ほどまでに売り上げが落ちていて休業しているお店も多いようです。
課題は、コロナが収まってお店を再開するまでの間を、経済的に持ちこたえていくことでして、テイクアウトなどに同業者、関係者が協力し合って取り組む動きが見られます。
その一環と思われますが、私にも居酒屋の経営を任されている方から相談がありまして、スーパーの駐車場などでテイクアウト販売を、同業者にも呼び掛けてやりたいとのことでした。
そこで、私が知っているスーパーの社長に取り次ぎましたら、「このような事態ですので、少しでもお役に立てれば。」と快く了承し、協力を約してくれました。
平穏な日常が失われ荒みがちな今日の世相ですが、何か心和む嬉しい出来事でした。
日本の建国神話は、世の荒き、暗きに遭うも慶びを積むことの大切さを伝えています。コロナウィルスの影響は深刻ですが、心明るく助け合い、補い合って乗り切っていきましょう。
雨森芳洲は、江戸時代中期の儒学者で対馬藩に仕え、李氏朝鮮との外交実務に携わっていました。
朝鮮通信使では、第8回と第9回のときに接待責任者を務め、通信使からも高い信頼を得ていました。
芳洲が61歳のときに著した「交隣提醒」は、対馬藩主に上申した朝鮮外交の意見書で、ユネスコ「世界の記憶」に登録されている資料の一つです。
その中で彼は、外交の基本は相手の風俗習慣をよく理解し、お互いを尊重しあうことが肝要であると説き、「お互いに欺かず争わず、真実を以て交わり候を誠信とは申し候」と述べ、「誠信」(誠意と信義)による外交の必要性を訴えています。
62歳のとき、朝鮮と米貿易の交渉を委ねられた芳洲は、2年ほど釜山に滞在しますが、その交渉相手が玄徳潤で、彼とはお互いに認め合い、尊敬しあう間柄でした。
その玄徳潤が、釜山の古くなった朝鮮庁舎を、私財を投じて建て替え「誠信堂」と名付けました。
これに深い感慨を覚えた芳洲は、そのことを讃えて「誠信堂記」と題する一文を書きあげ、その中で「交隣の道は誠信にあり。この堂に居て交隣の職に就いた者は、このことを深く思わなければならない。」と述べています。
この書は誠信堂内に掲げられ、朝鮮の人々の胸にも焼きついたと伝えられています。
日本は、人生100年時代の到来が現実になりつつあります。今年の住民台帳に基づく100歳以上の高齢者の総数は69,785人です。老人福祉法が制定された昭和38年は全国で153人でした。それが、昭和56年には千人を超え、平成10年には1万人を、平成24年には5万人を超えて、現在7万人に及ぼうとしています。
このように長寿化が進んでいくことは、国の医療福祉が整っている証であり慶ばしいことであります。ただ誰しもが願うことは、「健康で長生きしたい。」ということであります。また、誰しもが心配することは、我が国の医療保険制度や介護保険制度は大丈夫だろうかということであります。そこで、人生100年時代に備えて健康寿命を延ばす取組みが重要になってきます。
健康寿命を延ばす取組みにおいて大きな柱の一つは、歯の健康を守る施策の推進であります。本県は、そういう観点から平成25年に「やまぐち歯・口腔の健康づくり計画」を策定しました。この計画は、10か年計画で5年経過した時点で中間評価を行うということで、昨年10月にその中間報告書がまとめらています。
これを見ますと、本県における県民の歯・口腔の健康度は、全般的に増進しているものの、40代から60代の年齢層の人たちの歯周病増加の抑止が課題としてあることがわかります。40代から60代と云えば、仕事が忙しくて歯医者に行くのは、余程歯が悪くなった時、という人たちが多い世代ですので、そうした世代への対策としては、職場などの定期的な健康診断の項目に、歯・口腔の検診も加える等のことが考えられます。
そのようなことも含め、人生100年時代の到来を展望して、健康寿命を延ばす施策を着実に推進していきます。
【明治維新150年に想う】
新たな変革の胎動を
今年は明治維新150年です。山口県は、この維新を主導した県でありますので、花博等これをを記念した企画の実現に力を入れていますが、明治維新とは何だったのかを振り返り、今日の時代における維新について考えてみたいと思います。
明治維新は、大化の改新や鎌倉幕府の成立などに匹敵する国家変革の歴史的出来事でしたが、その変革の内容は、封建的幕藩体制から近代的主権国家への転換であったと言えます。
幕末は、世界的に帝国主義の時代で、この時代の国際社会を構成する単位は主権国家でした。そのため、この時代の国家は、主権国家としての国の体制整備が求められ、それが出来ない国は、どこかの主権国家の支配下に置かれるという厳しい現実がありました。その結果、アジア・アフリカのほとんどの国々が、欧米列強の植民地となりその支配下に置かれました。
幕末維新は動乱の時代でしたが、我が国の先人たちは、欧米列強による植民地支配の脅威から日本の国を守るという一点では共通していて、様々な考えがあり激しくぶつかり合うも、攘夷から開国へ、そして主権国家の確立へと云う国の独立保持のための変革を見事成し遂げ、歴史的責任を果たしました。
では現在、明治維新150年を記念し称揚している我々が、維新の先人たちにならって取り組むべき課題は、何なのでしょうか。答えはハッキリしていて、それは少子高齢化への対応であると考えます。今日、我が国は将来に明るい展望を描くことが困難になっていますが、その最大の理由が少子高齢化の進行であります。特に最近強調されているのは、2025年問題でして、団塊の世代が全て後期高齢者になるこの年以降の医療・介護をどう確保するのかの対策が、既に大きな課題になっています。
では、どうすればいいのか。私は少子高齢化問題を解決する方向は明らかだと思っています。それは、高齢者を国の負担にするのではなく、国の宝として生かす施策を強力に遂行することであります。そのためには、高齢者でも働ける限りは働くことが出来るようにしていくことです。現在は、65歳以上が統計上高齢者になっていて65歳は一般的に退職の年齢ですが、人生100年時代と言われるようになってきている今日、65歳は、人生の第二ステージの出発点と考えることが出来ます。
ソーシャルビジネスの提唱者として、また多くの人たちを貧困や失業から解放する金融の手法を確立した功績でノーベル平和賞を受賞したバングラディシュ出身の経済学者、ムハマド・ユヌス氏は、「人間は決して引退しない。高齢者ではなく、人生の第二段階にいるというべきだ。人性の第二段階では家族を養うために心配をする必要がない。だから人生の第二段階こそ、最も自由で創造的な人生なのだ。自分ではなく、世界のために何かをすべきで、他の人のために生きることができる時期なのだ。」と訴え、若者とシニア世代がお互いに刺激しあい、パートナーとして共に働けば、高齢化社会を輝く社会にすることができると語っています。
私は、全く同感で高齢者が輝く地域社会のモデルを本県において実現していくことは、我が国の将来に明るい展望を切り開くことになり、今日の時代における維新の実現になると思います。明治維新の特徴は、地方からの変革でした。その変革を主導した山口県が、再び日本再興の役割を果たすようになってこそ、明治維新150年の記念行事も意義あるものになると思っています。
【友好協定締結35周年記念中国山東省を旅して】
先般、5月30日から4泊5日の日程で中国の山東省を、友好協定締結35周年記念の訪問団の一員として訪問してきました。私にとりましては20年ぶりの訪中でしたが、印象深かったことにつき所感を報告いたします。
1. 経済発展
最も印象深かったことは、経済発展している中国の現状を実地に見聞できたことです。飛行機から、あるいは鉄道・バスの車窓から見た上海、北京、済南、青島等の都市は、整備された広い道路に自動車が溢れており、近代的なビルが立ち並び、またマンションビル等の建設が相継いでいて、20年前とは様変わりしていました。政治の安定が続けば、中国経済は今後も発展し続けることでしょう。
2. 環境問題
山東省の省都である済南市を訪ねた日は、天候は晴れでしたが、空を見上げても青空は見えず、薄曇りに霞んでいるようでした。その日の夜、山東省長の主催による歓迎レセプションの時、隣席の省幹部の方にそのことを話したら、工場の排気ガスだけではなく、急速に増えている自動車の排気ガスも中国の大気汚染の原因になっているとのこと。ただ、環境問題には真剣に取り組んでいて、これから良くなるとの見解でした。
3. 航空貨物
北京空港での出来事。福岡空港から上海を経由して北京空港に着いたのは、予定より1時間半ほど遅れの午後5時ごろでした。ところが、空港の手荷物受取場に村岡知事のスーツケースが、待てども待てども現れませんでした。
日程初日は移動日で公式行事がないため、知事はラフな服装にして背広等はすべてスーツケースに入れていたので大変、翌日からの公式行事用に急きょ北京のデパートで必要な衣服や靴などを買い揃えました。
その後、その日の夜の10時半ごろ知事の荷物が北京空港に在ることが分かり届けられましたが、北京へのフライトで利用した航空会社は、こうしたトラブルの場合、24時間以内に荷物を本人に届けることができれば、トラブルは解決したとみなして弁償等はしない旨の説明があったようです。従って、知事がデパートで買求めた衣服代等の弁償は、旅行会社の保険対応になりました。
4. 高速鉄道
中国では、日本の新幹線に相当する高速鉄道の整備が進んでいるようです。今回、北京から済南、済南から青島への移動は高速鉄道でした。乗り心地は快適でスピードも時速200キロを超え、中国の高速鉄道技術が向上していることが窺えました。
ただ日本と違うのは、治安上の理由もあるのでしょうが、乗車する際に必ず改札口で外国人はパスポートを、中国人民は身分証明書を見せてチェックを受けなければならないことです。現地のガイドの方は、中国人の日本旅行を度々お世話していて、そうしたチェックが必要ない日本の新幹線システムを褒め讃えていました。
5. 中華文明
日程3日目の6月1日、山口県・山東省友好協定締結35周年を記念して山東省博物館にて開催されることになった「郷愁-日本近代浮世絵名品展」の開幕式に参加しました。その後はしばらくフリーの時間があり、山東博物館の各コーナーを見て回ることができました。そこには紀元前からの山東省における土器、銅鐸等の発掘物や美術工芸品など様々な展示があり、豊かで高度に発達した中華文明の悠久の歴史に思いを馳せました。中国の現共産党支配体制は、そういう中華文明の歴史の中で、どういう評価になるのか興味深い点です。
6. 日中友好
今後このまま推移していけば、日本と中国は、経済的な面では国力の差がつくなとの感を持ちました。そうした中において日本と中国が、真の友好関係を築き上げ維持していくためには、双方が互いに認め合い、敬意を払う関係になっていくことが大事のように思われます。そのためには、日本は精神性において優れた国になっていくことが求められるのではないか。そうした思いを深くした、今回の中国の旅でした。
(合志栄一)
【国民保護法と平和主義】
空襲被害の日独比較
危機管理のプロとして民間の立場から国民保護法の制定に協力された現参議院議員青山繁晴氏は、その必要性を、第二次世界大戦時における空襲による被害調査の分析を踏まえて明らかにしています。第二次大戦時、連合国から激しい空襲を受けたドイツと日本を比較した場合、投下された爆弾量は、ドイツは日本のおよそ10倍以上にもかかわらず、殺された民間人の国民の数は、大差が無かったという事実があります。
国民保護法成立の意義
投下された爆弾量に比しての犠牲者数は、圧倒的に日本の方が多かったのはなぜか。この差は何によるのか。青山氏は、ドイツでは、あの国民を苦しめたナチスの支配下にあってすら、国民保護のための避難計画があり、それが実行されたのに、日本にはそれが無く、国民は自らの判断で逃げ惑うしかなかったことが、その主たる原因であることを指摘しています。そして、平成16年に戦後60年にして漸く不十分とはいえ我が国に国民保護法が成立し、国民保護計画が作られることになったことの意義を力説しています。
平和団体の反対
ところが、こうした国民保護計画の作成は、戦争への備えをするものであり、「戦争の放棄」を定めた憲法のもとで、戦争に備える態勢をつくらせる訳にはいかないとの理由で、平和団体、平和主義者と見られている人達による強い反対の動きがありました。長崎市ではそうした動きが、市の取組みに直接及び、その結果、市が作成する国民保護計画から「核兵器による攻撃への対処」が、削除されました。
真の平和主義
このような現実にコミットしないパフォーマンスとしての不毛な平和主義が、今なお我が国では、一定の影響力を持っていることは残念であります。我々が、戦争を避け平和を求めるのは、私たちの生命、財産、生活を守るためです。そういう意味において、真の平和主義者は、国民保護法計画が、実効あるものになることを求めこそすれ、それに反対することはあり得ないと考えます。また、同様の意味において、北朝鮮の脅威に備えること、中国の軍拡膨張主義への対応策を講じていくことは、何ら平和主義に反するものではないと考えます。
Four Happiness
―地球・日本・山口・私たちの幸せ―
【武の心を養う】
私は最近、日本は武の国としての確立を図るべきだと思っています。武は、今日一般的に武力を意味し、好戦的イメージがありますが、武の本義は、平和をあらしめる力であり、武に備わっている強さは、そのための手段です。
武の字義について白川静氏は、その著「字訓」において、「武を、『戈(ほこ)を止める』と解することは、後世の思想による解釈にすぎない。止は趾(あし)であり、武は、戈をあげて前進する勇武のさまをいう字で、歩武堂々の意である。」と述べています。
確かに、武の元初の字義はそうなのでしょうが、それが「戈を止める。即ち戈による争いを止めて平和をあらしめる力」と解されるようになり、そのことが武の本義として広く受け入れられるようになったのは、武の意味する内容が、時代の推移の中で人間社会の要請に応えて進化したということではないでしょうか。
日本建国の初代神武天皇の神武は易経の「神武不殺」に由来するそうですが、私は、そうした「武の心」を養う教育が推進され、世界の平和を支える武の徳を備えた人材が育っていくことを願っています。