平成27年6月定例県議会【歴史教育について】

【質問】歴史教育について

私たち日本人は、我が国の過去の歴史、特に日韓併合や日中戦争などの近現代史にどのように向き合っていくべきなのでしょうか。ハッキリしていることは、向き合うことを避けるのではなく、真摯に向き合い教訓をくみ取っていかなければならないと云うことであります。
歴史に真摯に向き合うと言うことは、歴史を正しく学ぶということと同義であります。そこで、歴史を学ぶことの意味について、少し考察してみたいと思います。
歴史は、よく鏡にたとえられます。私たちが、鏡を通して自分の姿を見るように、現在の時代の姿を、私たちは過去の歴史の中に見出し、そこに映し出して正しく認識し、理解することが出来るのであります。そういう意味で歴史は、時代を映し出す優れた鏡であると云えます。「大鏡」「増鏡」などの我が国中世の歴史物語本の書名は、そのような考えに由来するものだと思われます。
私たちは、鏡に映った我が姿を見て正すことが出来ます。同様に、私たちは、歴史を通して今日の時代の姿を見、私たちが生きている時代を正し、将来に向かってよりよくしていくための具体的な考慮が出来るのであります。従って、歴史を学ぶ意味は、私たちが生きている時代を正しく認識し、よりよくしていくためであると言うことが出来ると思います。
歴史を学ぶ上で、最も大事なことは言うまでもなく、歴史上の出来事、歴史的事実を、可能な限り正しく知るということであります。ただ、ここで問題となるのは、「歴史的事実とは、何か。」ということです。
この問いを考える上で確認しておかなければならないことは、私たちは歴史的事実それ自体を知ることは出来ない、歴史的事実と思われているものは、歴史的事実の痕跡を通して想起された事実であるということであります。歴史的事実それ自体は、既に過ぎ去って過去のものとなり存在しません。ただ、歴史的事実の痕跡は、その関係者の記憶、その事実に関する記録、史料、文献、遺品、遺跡等々として残っており、それらを通して私たちは、歴史的事実が、どういうものであったかを想起するのであります。よって、歴史的事実というものは、その想起の根拠となる史料や文献等により、またその史料や文献の評価により異なることになります。そのため、ひとつの歴史上の出来事に対して複数の異なった見方が歴史的事実として主張されると云う事態が、往々にして生じます。
では、そういう場合、どの見方を歴史的事実として受け入れるべきなのでしょうか。参考になるのは、歴史哲学に関し深い考察をしている野家啓一氏の見解です。野家氏は、「物語としての歴史」と題する論考の中で、「ある物語文が真実であるか虚構であるかは、それが『証拠』に基いた『主張可能性』を有し、歴史叙述のネットワークの中に『整合的に』組み入れられるか否かにかかっている。」と、述べています。
この見解を私なりに解釈すれば、ある歴史上の出来事についての叙述が、歴史的事実と見做されていいか否かは、先ず第一に、叙述に用いられている史料や文献等の証拠により、歴史的事実であることを主張できる可能性が保証されているかどうか、第二に、その叙述の内容が、関連する他の諸々の歴史的出来事と整合しているかどうか、によって判別されると云うことであります。歴史上の事実と見做し得る基準についての見事な洞察が、ここに示されているのではないでしょうか。
この基準に則る時、歴史的事実と見做されている見方も、新たな史料等の発見により、事実であることを主張する可能性や整合性を失った場合は、その見方は修正を迫られることになります。そういう意味で、歴史的事実は、決して確定したものがあるのではなく、常に見直される過程の中に在るのであります。そうした留保の上で、今日の知見の中で最も真実の度合いが高いと思われる見方を歴史的事実と見做し、歴史の中に組み込み、歴史として学んでいくことが、日本の近現代史を含め歴史に真摯に向き合うことになると考えます。
以上、歴史を学ぶことに関連して所見を申し述べましたが、以下そのことを踏まえ、学校における歴史教育をより良いものにしていくためにということで、二点お伺いいたします。
言うまでもなく歴史教育は、良い歴史教科書と良い教師を必要とします。このことに県教育委員会が直接かかわることが出来るのは、高校の歴史教科書の採択と、中学校・高校で日本史を教える教員採用についてであります。中学校の場合は、正確には社会科の先生が、地理・公民と併せて日本史を中心とした歴史を教えることになりますので、社会科の教員採用についてということになります。
従ってお尋ねの第一点は、日本史の教科書の採択についてであります。
「1937(昭和12)年12月、日本軍は国民政府の首都南京を占領した。その前後数週間のあいだに、日本軍は南京市内外で捕虜・投降者をはじめ女性や子どもを含む中国人約20万人を殺害し、略奪・放火や女性への暴行をおこなった。」
これは、県内の4つの高校で使われている日本史A(日本史近現代)の教科書に書かれている南京事件についての記述で、出版社は実教出版です。私は、県内高校で使われている全ての日本史の教科書を見ましたが、表現に程度の差はあるものの、いずれの教科書にもほぼ同趣旨の記述があることを確認しました。
では、中学校の歴史の教科書は、どうなのでしょうか。南京事件については、山口市の中学校で使われている帝国書院の「中学生の歴史」では、「日本軍は中国南部からも進攻し、上海や当時首都であった南京を占領しました。南京では、兵士だけではなく、女性や子どもをふくむ多くの中国人を殺害し、諸外国から『日本軍の蛮行』と避難されました(南京虐殺事件)。しかし、このことは戦争が終わるまで、日本国民には知らされませんでした。」と、記述されています。
もう一つ紹介しますと、岩国市の中学校で使われている育鵬社の「新しい日本の歴史」では、「日本軍は12月に首都・南京を占領しましたが、蒋介石は奥地の重慶に首都を移し、徹底抗戦を続けたため、長期戦に突入しました。」と本文には書かれており、南京を占領のところに注がありまして、その注では、「この時日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。この事件の犠牲者数などの実態については、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている。」と記されています。
私見を申上げれば、以上紹介した中で、南京事件に関しての記述で最も穏当だと思われるのは、育鵬社の教科書の記述であります。一方、ひどすぎる、なぜこういう記述が許されているのかと思われるのは、実教出版の教科書です。
日中戦争で南京占領の時、日本軍により多数の中国軍民が殺害されたことは厳然たる事実であり、これを否定することは出来ません。ただ、そうであるが故に、また、そういう事件を再び繰り返さないために、その事件の真実を明らかにしていくことは必要であります。
私は先ほど、「歴史的事実は常に見直される過程に在る。私たちは、最新の知見で最も真実の度合いが高いと思われる見方を歴史的事実と見做して学んでいくことが、真摯に歴史に向き合うことになる。」と申し上げました。ところが、実教出版の日本史教科書の南京事件に関する記述には、そういう姿勢が見られません。
この教科書では、南京事件において日本軍に殺害された数を20万人と書いていますが、これは東京裁判で示された数です。中国政府の公式見解は30万人で、この数は南京虐殺記念館に表示されていますが、実教出版の教科書は、その数を南京事件についての(注)で紹介しています。またこの(注)では、日本国内では、「10数万人」など他の説があるとしているのも、実際と違っています。
我が国で戦後、南京事件の事実発掘ということで最初に本格的に取り組まれた事業は、旧陸士卒業生などで組織する財団法人偕行社の機関紙『偕行』が、昭和59年4月号から1年かけて連載した「証言による南京戦史」シリーズであります。このシリーズは、参戦者の証言と戦闘詳報などの記録類を大規模に発掘整理したものですが、総括部分で、虐殺数を「3千乃至6千」とする推定と、「1万5千」とする概算を両論併記する形で示し、「中国人民に深く詫びるしかない。」と締めくくっています。戦史研究で著名な秦郁彦氏は、その著「南京事件」で、被害者数約4万人と推計しています。
実教出版の教科書が問題なのは、我が国における南京事件についての、このような実証的な取り組みに目を向けず、中国政府の公式見解や東京裁判の判決が示すものを、うのみにするかのごとき記述になっていることです。さらにこの教科書が、中島16師団長日記を掲載しているのも問題です。この日記に書かれている「捕虜ハセヌ方針ナレバ」の文言は、一般的には捕虜殺害の方針を示したものと解されていますが、実際、この16師団で捕虜監視の任務を担った兵士の証言には、「捕虜は逃がしてもよい。」というようなことであったので、夜間の監視を手薄にしたら捕虜の半数が逃げたという事例もあり、研究者の間でも解釈が分かれています。それを、日本軍の大量虐殺を裏付ける証拠として教科書に乗せるのは、誠に不適切であります。
では、この実教出版の教科書は、従軍慰安婦についてはどう書いているのでしょうか。その部分を紹介致しますと、「植民地や占領地では、日本軍も設置や監理に関与した慰安所に、朝鮮人を中心に、中国人・インドネシア人・フィリッピン人・オランダ人などの多数の女性を、日本軍兵士の性の相手である慰安婦として動員した。」と書かれています。
慰安婦問題については、このことに真摯に向き合い、日本と韓国が正確な理解に基づき和解に至るようにとの思いで書かれた朴裕河(パクユハ)著「帝国の慰安婦」という本があります。著者の朴女史は、韓国・世宗大学校日本文学科教授ですが、日本に留学して慶応義塾大学文学部を卒業後、早稲田大学大学院で日本近代文学を専攻し博士号を取得しております。
この書は、韓国では発行禁止処分を受けていますが、著者は、何よりも先ず元慰安婦たちに寄り添い、慰安婦問題の真の解決のためには、事実を事実として認め、日本と韓国が共通の理解に立つことが必要との思いで筆を取ったものだと思われます。私は、彼女の勇気ある発言に心から敬意を表するものです。そして、彼女にとっては不本意で迷惑かもしれませんが、私たちが慰安婦問題を正確に理解する上において、知っておくべきと思われるところを数点、この書から紹介したいと思います。以下、「帝国の慰安婦」からの引用です。

後日の「慰安婦」の前身は「からゆきさん」、つまり日本人女性たちである。

慰安婦証言集を読む限り、「日本軍に強制連行」されたと話している人たちはむしろ少数である。証言者の多くは、むしろこのような誘惑に応じて家を離れたと話している。

「慰安婦」を必要としたのは間違いなく日本という国家だった。しかし、そのような需要に応えて女たちを誘惑や甘言などの手段までをも使って「連れていった」のはほとんどの場合、中間業者だった。

「慰安婦」募集には同じ村の朝鮮人も加担していた。
挺身隊や慰安婦の動員に朝鮮人が深く介入したことは長い間看過されてきた。そしてそのことが慰安婦問題を混乱に陥れた原因の一つとなったのである。

慰安婦問題の根底には、売買春を許可し管理した公娼制度がある。

朝鮮人慰安婦をめぐる複雑な構造に向き合わずに、慰安所をめぐる責任の主体を日本軍や日本国家だけにして単純化したことは、逆にこの問題への理解を妨害し、結果的に解決を難しくした。

以上、「帝国の慰安婦」から引用に加えて、秦郁彦氏の指摘を一つ紹介しておきたいと思います。秦氏は、慰安婦でもっとも多かったのは、朝鮮人女性ではなく日本人女性であったことを、その著「慰安婦と戦場の性」で明らかにしております。彼は、残されている資料に基づき慰安婦の民族別構成についての見解を示していて、慰安婦全体を10とすれば、4が内地日本人であり、3が現地人、2が朝鮮人、1がその他ということで、日本人と朝鮮人の慰安婦の割合を2対1と推定しております。

以上の指摘からだけでも明らかなことは、従軍慰安婦のことを正確に理解し、伝える困難さです。そのことを考慮せず、従軍慰安婦に関して日本軍や日本国家の加害性に焦点を当てて単純化した記述が、高校生用のほとんどの日本史教科書に書かれていることに、私は疑問を感じています。
私は先般、上京して文部科学省の教科書担当の課を訪ねた際、従軍慰安婦については、朝鮮人を中心にと記述されている教科書が多いが、最も多いのは日本人慰安婦であったとする秦氏の指摘が事実とすれば、そうした記述は改められるべきではないかと申し上げたら、今の検定制度では「明確な誤り」ということでなければ訂正を求めることは困難という見解でした。
私は、我が国の日本史教科書の作成は、二つの制約のもとにあると見ております。その一は、日本史教科書を執筆する学者・教育者の思い込みです。日本史の教科書の執筆に携わる学者、教育者の中には、特に日本の近現代史においては、日本の加害の歴史を知らしめることが、日本が再び過ちを繰り返さないために必要と思い込んでいる人たちが多いように思われます。そういう思いで執筆された日本史教科書でも、現在の検定では歴史認識の問題には立ち入らないため、記述の内容が事実関係において明らかな誤りがない限り訂正は求められず、教科書として認められることになります。
その二は、近隣諸国条項です。これは、昭和57年の教科書検定で、中国への侵略を進出と書き改めさせたとの報道に、これは誤報だったのですが中国と韓国が抗議して外交問題となり、当時の政府が、事態の決着を図るために教科書の検定基準に新たに加えたものです。「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」との内容の近隣諸国条項が、検定基準に加えられたことにより、その後の日本史の教科書検定においては、訂正を求めた方がいいと思われる記述があっても、そのことで中国や韓国の反発が予想されると思われる場合は、訂正を求めることをしないと云う事態になっているのではないかと推察されます。
私が問題に思う、実教出版の日本史教科書における南京事件や従軍慰安婦についての記述が、日本軍や日本国家の加害性を強調する内容になっているのは、その一の理由からであり、それが検定で訂正を求められないのは、その二の理由からであると思われます。
現在の我が国の教科書制度では、学習指導要領に基づいて民間の出版社が著作・編集した図書を、文部科学省が検定し合格したものが教科書として使用されます。歴史教科書の場合、現在の検定基準では、繰り返しになりますが歴史観や歴史認識が適切かどうか等の評価はされず、記述の内容が事実関係において明らかな誤りがない限り訂正は求められません。従って、日本史の教科書の場合、様々なと言えば聞こえはいいですが、私からするとおかしなと思われるものも含めて様々な歴史観、歴史認識の図書が教科書として認められ、その中でどれを採択するかは地方に委ねられています。
日本史の場合、どういう教科書を良い教科書と見做すかは、色々な考えがあると思われますが、私は、日本の国の全体像について偏りのないイメージを描くための基礎的な知識が備わっており、公平な視点と国への愛情を持って書かれた教科書であることを望むものです。
そこでお尋ねです。高校における教科書の採択権は県教育委員会に在ることから、県教委は、特に高校の日本史教科書においては、様々な日本史教科書の中から、本県の高校にふさわしい教科書を採択して、使用されるように努めるべきだと考えます。つきましては、高校の日本史教科書の採択について県教育委員会はどのように取り組んでおられるのか、ご所見をお伺いいたします。
次にお尋ねの第二点は、日本史担当の教員採用についてということで、良い歴史教師の確保についてお伺いいたします。何をもって良い歴史教師と見做すかは、一概に断定できませんが、基本は教科書の場合と通ずることでありまして、事実を正しく知り追求する冷静な眼と、国への深い愛情がある教師が望ましいと思います。「愛のみ、よく真実を知る」という言葉があります。人が罪を犯した場合、なぜ罪を犯したかを知り、更生に導くのは、その人への愛であります。我が国の過去に罪を犯した歴史があるにしても、国への愛があって真実を知ることが出来てこそ、罪なき国への道筋が見えて来るのではないでしょうか。
先に述べたことですが、これまで、日本史の教育に携わってきた人たちには、特に近現代における日本の加害の歴史を伝えることが、過ちを繰り返さないために、また中国や韓国と仲良くやっていくために大事なことだとの思いを持つ人たちが多いようです。しかし、一歩進めて、帝国主義の時代、如何にして我が国の存立を図っていくかということで、苦悩し苦闘した日本の国の歩みへの理解を深め、どうすれば加害の歴史を歩まずに済んだのかということを問うていくことが必要であり、そういう姿勢は日本の国への愛から、自ずと生じて来るものではないでしょうか。
いずれにしても日本史の教師は、日本の国の歩みについて基礎的な知識があることは当然ですが、国への深い愛情があって日本史を教える教師であってほしいと望むものですが、県教委は、どういう方針に基づいて中学校の社会科、そして高校の日本史の教員を採用しておられるのか、お伺いいたします。

【回答】◎教育長(浅原司君)

歴史教育に関する二点のお尋ねにお答えします。
まず、日本史教科書の採択についてであります。
平和で民主的な国家・社会を形成する日本国民として必要な自覚と資質を養うためには、歴史上の出来事を史料や文献等により正しく認識する歴史教育が重要であり、各高校での日本史の授業においては、教科書とともに多様な史料を用いて歴史を考察し、みずからの考えをまとめる学習を計画的に実施し、歴史的な見方や考え方を身につけさせるよう努めているところです。
こうした授業を展開する上で、教科書は教科の主たる教材として重要な役割を果たしていることから、適正かつ公正な採択を行う必要があると考えております。
このため、県教委では、文部科学省の通知の趣旨に沿って定めた採択の基本方針に基づき、日本史の教科書についても、各学校の特色や生徒の実態等を踏まえながら、教育目標を達成する上で適切な教科書を年度ごとに採択しております。
具体的には、各学校に教科書の特徴をわかりやすくまとめた選定資料を示すとともに、校内に教科用図書検討委員会を設置し、静ひつな環境の中で、適正かつ公正な選定が行われるよう指導しているところです。
また、各学校が選定した教科書について、教育庁内の検討委員会において、それぞれの学校の教育目標や教育課程に即しているか、生徒の実態に応じているかなどの視点で厳正に審査した後、県教委が総合的に判断した上で採択を行っております。
お示しの南京事件や従軍慰安婦など、個々の歴史的事象についての具体的な取り上げ方や記述は教科書によって異なっているものの、いずれも文部科学省の検定基準に基づいて審査が行われており、教科書としての適正は確保できているものと考えております。
また、近現代史の学習においては、関連する歴史的史料も多いことから、教科書だけでなく、これらを補助教材として用いることにより、生徒自身が歴史的事象の背景や意味を多角的・多面的に考察し、公正に判断する能力を育成する授業を行っております。
県教委としては、今後とも適正かつ公正な教科書採択はもとより、多様な史料を用い、生徒自身が歴史的事象についてさまざまな立場から考察する力を養うことができるよう、歴史教育の充実に努めてまいります。
次に、中学校の社会科、高校の日本史の教員の採用についてであります。
教員は、中学校の社会科、高校の日本史の教員も含め、教育基本法に掲げられた幅広い知識と教養を身につけ、真理を求める態度を養うこと、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する態度を養うことなどの教育の目標を達成するよう、児童生徒を指導する必要があります。
これらの目標を踏まえ、山口県では、教員に求められ期待される資質能力を、幅広い教養と専門的知識・技能を持っている人、強い使命感と倫理観を持ち続けることができる人など、山口県が求める教師像として具体的に示し、本県の教育を担う人材を求めているところです。
教員採用試験においては、全ての校種、教科、科目等において、教科の専門試験で学習指導に必要な専門的知識・理解及び技能について問うとともに、集団面接や個人面接等を実施し、教育的愛情、教育に対する情熱・意欲などを評価の視点として、人物を重視した選考を行っております。
今後とも、山口県の教育目標である「未来を拓く たくましい「やまぐちっ子」の育成」に向け、山口県が求める教師像に沿った教員の採用に努めてまいります。

2015年7月1日